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金閣寺(鹿苑寺金閣)
久しぶりにジグソーパズルをしてみました。
全体として、500ピースですので、ジグソーパズルが得意な人には、ものたりないかもしれませんが、肉まん父さんには「むずかしい」ものでした。
この絵柄は「金閣寺(鹿苑寺金閣)」です。
インターネット百科事典の鹿苑寺から引用してみると、
金閣(舎利殿)
焼失する前の金閣通称「金閣寺」の由来となった金閣は、漆地に金箔を押した三層の建物で正式には舎利殿と称する(金箔を貼るのは二・三層のみ)。初層・二層・三層のそれぞれに異なる様式を採用した特異な建築である。初層は寝殿造風で「法水院」(ほっすいいん)と称し、中央に宝冠釈迦如来像、向かって左に法体の足利義満像を安置する(安置仏像を「阿弥陀如来」とする資料もある)。二層は住宅風(武家造)の「潮音洞」で、岩屋観音像と四天王像を安置する。三層は禅宗様の仏殿風で仏舎利を安置し「究竟頂」(くっきょうちょう)と称する。屋根はこけら葺きで上には鳳凰が飾られている。 鹿苑寺金閣は第二次大戦前から(旧)国宝に指定されていたが、1950年(昭和25年)、学僧・林承賢(当時21歳)の放火により炎上(金閣寺放火事件)。林は寺の裏山で自殺を図った。建物は全焼し、国宝の足利義満像も焼失した。なお、屋上にあった鳳凰は火災以前に取り外されていたため焼失をまぬがれ、現存する。この事件は三島由紀夫の小説『金閣寺』、水上勉の小説『五番町夕霧楼』・『金閣炎上』の題材にもなっている。
現存する金閣は1955年(昭和30年)に旧建物の資料を基に再建されたものである。
なお、最上層の天井板は「楠天井の一枚板」であったと伝えられるが、それは誤りであり、複数の板を用いた鏡天井であった[1]。後に8代将軍・足利義政は祖父・義満にならい、銀閣を建てた。
銀閣、飛雲閣(西本願寺)と併せて『京の三閣』と呼ばれる。
とありました。
鹿苑寺金閣は、このサイトをご覧になっている方々が、生まれるはるか昔に建てられたのですが、実際に京都にあるものは、放火消失の後をうけて、
現存する金閣は1955年(昭和30年)に旧建物の資料を基に再建されたものである
となっています。
また、この金閣寺をはじめ、京都には、色々な世界遺産、文化遺産などが、数多くあるので、第二次世界大戦の「戦火」をまぬがれたと肉まん父さんは聞いております。
また、機会を見つけて、鹿苑寺金閣を家族で見に行きましょうかね(ニコッ)。
少しずつコンテンツ(中身)を増やしていきたいと思います。
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