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二十四時間銭湯の人々
「二十四時間銭湯の人々」
「二十四時間銭湯」なるものを訪ねた。
名古屋の町はずれの丘陵地帯。住宅が建ち並びはじめている中に、大きな池を背にし、広い駐車場を抱えた施設である。
見かけは、各地によく在るヘルスセンター風の建物。入場料1500円を払い、フロントで貸浴衣、ロッカー・キイなどを渡される。
その日はたまたま日曜日、その昼下がりというせいもあり、館内はかなり混んでいた。
家族連れも多く、客の年齢はさまざまで、気のせいか、やや老人が目立つという程度の感じで、わたしは拍子抜けした。
というのも、わたしがそこを訪ねたのは、『泊り続ける老人たち』と題したNHKの特集番組が興味深かったからで、そこでは数多い老人たちが「二十四時間銭湯」を老人ホーム代わりというか、一種の新しい老人ホームとして利用しているさまが、映しだされていたからである。
幾十、いや、幾百と並ぶロッカーの列の間で、わたしも着ている物を脱いだ。
あまり大きくない縦長のロッカー。
番組の中では、77歳の女性が血圧の薬から漬け物の小瓶までそこに納めているさまが紹介されていた。
浴場が半定住の場である以上、生きていく上で必要最小限の物は、いつもロッカーに預けて行く他はない。
とて、大浴場にはいる。
湯煙の中から、いくつもの顔がいっせいにわたしを見た。
まるで、わたしが裸の女性でもあるかのように。
それはまた、何かの気配に全く同じ方向を見るミーアキャットの群を思わせる動きでもあった。
実際には、あまりに長い時間、湯の中に居たため退屈しきっており、つい新来者に目がいく、というだけのことなのだが。
大小いくつもの浴槽に薬湯などが溢れ、大きな窓ガラス越しには、芝生と庭が見えた。
あっけらかんとした明るさ。
ただ流れる湯の音だけが聞こえる。
しばらく浸っているうち、体の芯までけだるくなり、同時に、自分というものがとけて流れ去っていくような気がしてきた。
畳敷きの大ホールでは、男女の客がそこここに散り、食べたり、話したり。舞台ではカラオケ。
休憩室は男女別になっており、幾台かの大型テレビの前に仮眠用のクッションが幾十となく並び、客が寝ころんでテレビを見上げていた。
そこが寝泊まりの場所にもなる。
わたしなどは1日でも居られそうになかった。
だが、そこに毎日100人ほどの老人が寝泊まりし、中には2年余り暮らしている人も居る。
「ここは気楽で居れる」
「ここへ来てりゃ、何にも神経使わずにすむ」
「(家では)話し相手が居ないので、ボケる」
テレビの伝えた老人たちの言葉である。
手先が不自由になり、家事を手伝えなくなったという77歳の老女だけはいささか異なり、
「(家で)役に立っているということがあったら、張り合いがあるけど」
心ならずも、というニュアンスであった。
一食分の食事を朝と昼に分けてとるなどして、そこでの彼女の1ヶ月の食費は8万円。
1日の食費に宿賃に当たるのが、入場料900円プラス深夜料金500円。
月にして4万円強。
考え方にもよるが、割安感もあり、彼女はそこで3年目を迎えていた。
番組の終わり近くで「かって一家の中で重きをなした人が家族の座から下りて・・・」というナレーションが流れた。
「家族の座から下りて」〜もの悲しいひびきのある言葉である。
なぜ下りなくてはならないのか。
下りる以外に方法はないのか。
家族の座を踏まえて、というか、家族の座を見下して、というわけには行かないのか。
いずれにせよ、考えさせられる番組であった。
反響も大きかったようで、その二十四時間銭湯では、3日あまり、全国各地からの問い合わせで、3本の電話がふさがれてしまった、という。
「全国の老人ホームの在り方にも一石を投ずることになる」
「こんな老人天国があるのかと目を丸くした」
「行政の老人福祉を先取りする企業が、わが周辺にもあればなあと幾度となくため息をついた」
といった声が並んだ。
この反響の大きさに、当の施設(平針東海健康センター)がおどろいた。
「考えてもみませんでした」と、大野辰雄支配人は、むしろ当惑顔。
名古屋は大都会なのに夜が早く、深夜族の行き場、食べる場がない。
そこで二十四時間銭湯なるものが、すでに他にも出現していた。
ただ、このセンターには隣接して4万坪の池があり、田舎にでも戻った感じがして落ち着けるらしく、寝泊まりする人たちが50〜60人出てきて、その半数が老人ということになった。
77歳老女の場合は別として、ふつう1日5千円はかかる。
それに、朝、一度は施設の外に出てもらわねばならぬのに・・・。
つまり、本来の趣旨とはちがった使われ方をされている、ということであり、そうした気配を肌で感じる老人客の中には、家族連れで混雑する週末になると、遠慮して帰宅する人も多い。
それにしても、「老人天国」と受け取られたのは、そこが老人たちの言葉のように何より「気楽」で「神経を使わずにすむ」場所だからであろう。
とにかく、窮屈さがない。
老人ホームのような規則や管理がない。
気に喰わぬ人とつきあうこともない。
いやなら、あるいは飽きたら、すぐ出ていけばいいし、また、やって来ればいい。
ただし、長々とそこで過ごすとか、あるいは過ごさなくてはならぬとなると、事情はちがってくる。
センターの中では、毎日、ほとんど同じことの繰り返しである。
たとえ風呂好きでも、毎日毎日、何度も同じ湯に入っていれば、それだけでも飽きがくる。
湯船の中でのいっせいの首の動きに見るように、どんな変化でもほしくなるが、これといった変化の起ころうはずがない。
変化はせいぜいテレビ番組の内容ぐらいであろうか。
日々、選ぶこともなければ、まして、賭けることも挑むこともない。
窮屈をすてたが、退屈という大敵と日々裸になって向き合うことになる。
託児所のように、毎朝そこへ連れてこられ、夜、連れ戻される老人は、1日中、浴衣に着替えることもなく、ホールの隅に座っている。
そして、ただただ迎えを待つ、という日課で、表情からは感情の動きが消えていた。
同じ「迎えを待つ」という言葉ながら、前出の老女のつぶやきは重かった。
「早く迎えに来てほしいと思う、あの世に」
帰りにそこから乗ったタクシーの運転手さんは言った。
「一晩ならともかく、連泊すればかえって疲れちゃいますよ。天国なんて、とても、とても」
ところで、わたしは老人とか老年とかいう言葉を使ってきた。
窮屈を捨てれば、退屈。
窮屈以上の大敵なのかも知れない。
いずれにせよ、老人たちの二十四時間銭湯暮らしには、意外性というか、意表をつくようなところがある。
それに、いかにも名古屋的ともいえる。
パチンコやきしめん、最近では、おむすびにエビ天ぷらを組み込んだ「天むす」など、形式にとらわれぬというか、恰好を気にしないというか、実用性第一、お値打ち本位といったところ。
そうした考え方から、既存のもの、社会に存在するものを、老人の側が勝手に使いこなしていく。
本来、老人向けでないものを老人向けの器として勝手に使いこなしていく。
けだるい形でありながら、そこに一種の奇妙な活力を感じる人もあるかも知れない。
ここまでの文章は1989年に公開された「人生余熱あり」からの一部引用となります。
今では当たり前のようにみられる光景でも、約20年前の「昭和」という時代の「におい」が強く残っていた頃には「めずらしい」ことだったのですね。
そして約20年前には「ネットカフェ難民」という言葉などは想像できなかったでしょうね。
肉まん父さん自身は「安い宿泊施設」としては、一泊朝食付きで3千円台のホテルなどを利用したことが何回かあります。
今では駅前のカプセルホテルなどが今回の記事内容にある「二十四時間銭湯」などにあたるのではないでしょうか。
なかには、朝食が「バイキング形式」で食べ放題であったり、「全自動マージャン卓」などが無料で一晩中利用できたりサービスがある施設もあるようです。
しかし、一泊や二泊ならばまだしも、ずっとそこに居続けるという点では、肉まん父さん自身の正直な思いとしては、「自宅のほうがずっと良い」と思っています。
これも人により、いろいろな考え方があるのでしょうね。
少しずつコンテンツ(中身)を増やしていきたいと思います。
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