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マリ・キュリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索 ノーベル賞受賞者
受賞年: 1903年 受賞部門: ノーベル物理学賞 受賞理由: 放射能の研究 ノーベル賞受賞者 受賞年: 1911年 受賞部門: ノーベル化学賞
受賞理由: ラジウムおよびポロニウムの発見とラジウムの性質およびその化合物の研究 マリヤ・スクウォドフスカ=キュリー(Maria Skłodowska-Curie,
1867年11月7日 - 1934年7月4日)はポーランドの物理学者・化学者。
ワルシャワ生まれ。
ソルボンヌ大学を卒業。
夫のピエール・キュリーともに、大量のピッチブレンド(瀝青ウラン鉱)の残渣からラジウムとポロニウムを精製、発見した。
1903年に夫婦でノーベル物理学賞を、1911年には単独でノーベル化学賞を受賞した。
彼女とその一家は歴史に名前をとどろかせている。
彼女が物理学賞と化学賞、夫ピエールが物理学賞、娘夫婦(イレーヌ・ジョリオ=キュリーとフレデリック・ジョリオ=キュリー)がそれぞれ化学賞を得ている。
一族四人、芸術家として別な一路を繁栄させた次女を含めても五人で獲得したノーベル賞の数は五つである。
功績を称え放射能の単位「キュリー」に、またパリ大学のキャンパスに名が残る。
一方で、フランスの保守性と、ゴシップ好きのマスコミ攻撃(“夫の弟子と恋愛関係にある”と書き立てられた)により、科学アカデミー会員に選ばれる事はとうとうなかった。
1934年5月、体調不良で療養所に入院した。同年7月4日、研究の影響による白血病で死去。享年66。
以上は、有名なネット上でのフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用しましたが、 原書などは難しいので、肉まん父さんの二人の娘(くりぃむ&ホイップ)は次の漫画を母親(あんまん母さん)が近くの書店で購入し、それを喜んで何回も読んでいました。
肉まん父さんがこの「キュリー夫人」を読んでみると、121ページの「わたしは、夫ピエールとともにラジウムを発見しました。ですから、この2度目のノーベル賞も、ピエールと一緒にいただいたものと考えます。」
というシーンに何かジーンとくるものがありました。
今の時代、アルバムやビデオなどで今の子供達の写真や映像を将来の孫世代に残す事は出来ても、子供の頃に読んだ本などを次世代(孫)に伝える事はなかなか出来ません。
これからも、数ある本の中で肉まん父さんの娘達が喜んで、むさぼり読むように読んだ本(肉まん家での良書)を、何年か先に生まれて来るであろう将来の孫に「お前の母さんは子供の頃、こんな本を喜んで読んでいたんだよ。」と、このサイトに記録として残し、伝えていきたいと思っています。
少しずつコンテンツ(中身)を増やしていきたいと思います。
また、何かご質問やご要望が有れば、左のメールアドレスにご連絡下さい。
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